大きな地雷を踏んでしまった私が気づいたこと

みんなの中にある地雷

生きていたら他の人に言われたくないこと、されたくないこと(=地雷)、誰もが持っていると思います。

 

私はとにかく鈍感で世間知らずな人間で、地雷を踏んでしまってもどんな地雷を踏んだかも気づけず、多くの人を傷つけてしまったこともあります。

 

誰かの地雷を踏むのが怖くて、踏んでしまったとしても何か危害を加えてこない人かどうか確認する習慣がある人もいると思います。

 

私はそんな習慣がなく、その習慣がないがゆえに他の人に避けられたこともあります。

 

地雷を踏まないように生きることは少なからず怖いことで、踏まないように気をつけていても踏んでしまうことはあるかもしれません。

 

私は大きな地雷を踏んでしまい、怖い思いをしたことがあります。完全に何か危害を加えられたと思うことがありました。

 

何かされたと気づいた時、私は本当に生きていくのが怖くなって誰も信じられなくなり、この世の中は怖いものだと思うようになってしまい、そこから抜け出せずにいました。

 

地雷を踏んでしまっても何も危害を加えてこない人かどうか確認する習慣がある人は、恐らくこの世の中って怖いものだと思っている人だと思います。

 

世の中が怖い、他人が怖いと思ってしまうようになってしまった私は、この世の中について深く考えるようになりました。

 

世の中には言ってはいけないこと、やってはいけないこと全部分かっている人がいて、その人が世界を手のひらで転がしているのではないか?その人が世界のトップにいるのではないか?と考えました。

これは半分正しくて、半分間違っていると思います。

 

確かに私は何かされたかもしれない、でも何かしてきた人も私に何か気づいて欲しくて何かをしてきたのではないか?何かしてきた人は一方の見方では人に危害を加える悪い人かもしれないが、もう一方の見方では私に何か気づかせてくれる、いい人なのではないか?

 

そう考えると、いい人も悪い人も見方を変えてみれば同じだ!、みんないい人であり、悪い人なんだ!と気づきました。

 

この思考に行き着いた時、私に何か危害を加えてきた人全てを許せるようになりました。

私が地雷を踏んだことでその人たちを傷つけてしまったかもしれないけど、その人たちも私に地雷を踏まれてこの思考に気づいたのだとしたら、私も悪いけど悪くない、いい事も悪い事も表裏一体なんだ!と思えるようになりました。

 

このことに気づいて、怖いものがなくなったし、生きるのが楽になりました。

 

みんないい人で悪い人、全部いい事で悪い事、このことに気づければ、生きるのが少し楽になるし怖くなくなると思います。

 

とはいえ、まだこのことに気づいてなくて苦しんでいる人がたくさんいると思います。

そんな人に是非この記事を読んで欲しい、世の中ってあなたが思っているほど怖くないんだよって伝えたいです。